LOGIN謁見の日の朝、エリナは四時間ほど眠った。
眠れると思っていなかったが、眠れた。 目が覚めた時、空はまだ暗かった。でも、もう眠れなかった。 起きて、顔を洗って、薬草茶を作った。 ルナが持たせてくれた葉を使った。 温かい湯呑みを両手で持って、部屋の窓から外を見た。 王都の夜明け前。 ルシェムとは違う空の色だった。でも、夜明け前が静かなのは、どこでも同じだった。 今日、謁見の間に立つ。 もう一度、確認した。 怖い。でも、届けたい。 それだけでいい。朝食を三人で食べた。
フィオナが、珍しく静かだった。 いつもは何か言う人だが、今朝は食べながらあまり口を開かなかった。 エリナが「どうかしましたか?」と聞くと、フィオナが少し笑った。 「緊張してる」 「フィオナが?」 「私も人間だから。あなたが緊張するより、私が緊張してる気がする」 「なぜですか?」 「あなたが上手くいくかどうかを、見ている立場だから。自分が話すより、大事な人が話すのを見ている方が、緊張する」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 大事な人が話すのを見ている方が、緊張する。 「フィオナ」 「何?」 「今日、謁見の間に入れますか?」 「入れない。謁見の場に入れるのは、名前がある人間だけ。私には、今は資格がない」 「そうでしたか」 「廊下で待ってる。終わったら、すぐ出てくるでしょう。その顔を見る」 「どんな顔をしていると思いますか?」 「わからない。でも、見たい顔をしていると思う」謁見の前の十分間は、王宮の廊下の一角で過ごした。
フィオナ、ゴードン、エリナの三人。 廊下は石造りで、冷たかった。外の空気が、石を通して伝わってくる。 エリナは上着の内ポケットに手を当てた。 手紙が、ある。 フィオナが言った。 「今日の目標を、一つだけ確認する」 「届けること」 「届ければ、十分?」 「十分です。届けた後のことは、陛下が決める。私が決めることではない」 「それが、あなたらしい答え。だもう一つだけ言う」 「どうぞ」 「緊張してもいい。でも、あなたがそこにいることを、忘れないで」 「私がいること?」 「数字だけが報告するのではなく、あなたが報告する。数字の後ろに、あなたがいる。それを、忘れないで」 「わかりました」 ゴードンが少し間を置いて言った。 「準備ができています。行きましょう」謁見の間の扉が、ゆっくりと開いた。
一年前にも、この扉が開いた。 あの時と同じ扉。でも、今日は違う人間が中に入る。 エリナは一歩踏み出した。謁見の間は、一年前と同じだった。
高い天井。赤い絨毯。両側の柱に掛かるタペストリー。高窓から差し込む冬の光。 でも、見える景色は少し違った。 一年前は、すべてが大きく見えた。 今日は、大きいがそれだけだった。大きい部屋に、自分が立っている。それだけだ。 高官たちが、両側に並んでいた。 右側の列に、クロヴェル侯爵がいた。 整った顔。完璧な姿勢。こちらを見ていた。 エリナは視線を受け取って、逸らさなかった。 左側の壁際に、師匠とレインがいた。 師匠は白髪の老人で、一度も会ったことがなかった。でも、手紙を通じて知っている人だった。 レインは、その隣に立っていた。 エリナがレインを見た。 レインがエリナを見た。 一秒、目が合った。 それだけだった。 でも、それで十分だった。 落ち着ける、と思った。陛下が玉座に着いた。
ラオネル・ヴァルデリア三世。 一年前に会った時と、同じ目をしていた。疲れを帯びた穏やかさ。でも、穏やかさが弱さではない。 「エリナ・アッシュフォード、よく来た。一年ぶりだ」 「お招きいただきありがとうございます」 「一年前、私はそなたに任を与えた。今日、その結果を聞こう」 「はい」エリナは、おばあさんの孫の話から始めた。
紙を持たなかった。 自分の言葉で、話した。 「一年前、ルシェムという小さな町で、石鹸を作り始めました。最初は、一人でした。台所の窓から市場が見える、小さな長屋でした」 静かな声で話した。 「その石鹸を使うようになってから、ある方の孫が病気で寝込む日が減ったと聞きました。その方は、まだ小さい子がうちの孫のために考えてくれていたのか、と言って、泣いていたそうです」 謁見の間が、静かだった。 「私は、その孫のために作ったわけではありませんでした。でも、届いていた。狙っていなかったものが、届いていた」 一秒間を置いた。 「その話から始めたいと思います。数字の前に、まず、その話を」第一部が終わった後、第二部に移った。
学院の感染率のデータを、口頭で提示した。 「学院の医療棟では、消毒液の採用後、術後感染率が採用前の三割八分まで下がっています。これは、一年間の継続的な記録から得られた数字です。学院の師匠、ヴォルフ・グラーセン先生の確認書に、詳細が記されています」 魔法師団長が、手元の書類を見た。前日に届けられたものだ。 「第三部では、この効果が一地方に限らないことをお示しします」第三部で、各町のデータを提示した。
薬屋の販売記録が四つの町で同じ傾向を示していること。ベルダンの民間の記録書が、商業的な観点から効果を裏付けていること。そして、王都の平民街での試験結果。 「王都でも、同じ効果が確認されています。三週間の試験期間で、病欠の申告が三割近く減りました」 右側の列で、わずかにざわめきが起きた。 王都のデータは、一地方の話では済まない。第四部に入る前に、クロヴェル侯爵が発言を求めた。
「陛下、発言をお許しください」 「クロヴェル侯爵」 「このデータは、興味深い。しかし、これらは石鹸と薬草薬の効果ではなく、使用した人間の衛生意識の向上によるものではないか。石鹸が媒介ではなく、意識の変化が主因であれば、特定の商会の功績とは言えない」 静かな声だった。穏やかだった。 エリナは、その言葉を受け取った。 想定していた反論だ。 「ご指摘ありがとうございます」エリナが答えた。
「二点お答えします。一点目。薬屋の販売記録は、石鹸が配布される前と後で、明確に変化しています。同じ時期に衛生意識だけが変わった理由が別にあるとすれば、それをご指摘いただければ、検討いたします。今のところ、石鹸の配布時期と変化の時期が一致しています」
「二点目」エリナは続けた。
「意識の変化と石鹸の普及は、矛盾しません。石鹸を使うことで手洗いの習慣が生まれた。習慣が意識を作る。どちらが先かではなく、両方が同時に起きている。その結果として、病気が減った。原因を一つに絞ることより、結果として何が変わったかが重要だと考えます」
クロヴェル侯爵が、少しだけ目を細めた。 否定はしなかった。第四部の提言に入った。
「魔法は、この国の礎です。それは変わらない。でも、魔法が届かない場所があります。魔法師が足りない村、魔法師に頼れない平民、重症患者が来るまでの時間。その隙間を、知識で埋めることができます」 エリナは、一度だけ左側の壁際を見た。 師匠と、レインがいた。 「学院の師匠が、この一年間、学院での成果を記録し続けてくれました。消毒液を使うことで、治癒魔法師が軽症の処置に追われる時間が減った。重症の患者に、より多くの力を使えるようになった。これは魔法師の仕事を奪うのではなく、魔法師が本当に必要な場面に集中できるようにすることです」エリナが話し終えると、師匠が発言を求めた。
陛下が頷いた。 師匠が前に出た。 白髪の老人が、三分間、話した。 冒頭は、おばあさんの孫の話から始めた。 エリナが報告書で使った話と、同じ話から始めた。 謁見の間が、また静かになった。 師匠は、数字を一つ一つ丁寧に話した。感情を込めることなく、でも確かな重さを持って。 「以上が、学院医療棟での一年間の記録です。数字は、嘘をつきません」 師匠が下がった。陛下が少しだけ間を置いてから、口を開いた。
「一年前、私はそなたに任を与えた。その任が、今日、果たされた」 謁見の間が静かだった。 「クロヴェルの上奏について、慎重に検討すると言った。その答えを、今日出す」 右側の列が、わずかに緊張した。 「この一年の成果は、数字として明らかだ。王都を含む複数の地域で、同じ効果が確認されている。学院がそれを証明している。規制を設けることは、今の段階では適切ではない」 静かな一言だった。 でも、その一言が、謁見の間の空気を変えた。 クロヴェルの顔が、わずかに動いた。 「アッシュフォード商会の活動は、引き続き認める。さらに、今後の展開について、王宮として正式に支援を検討する」エリナは、陛下の言葉を受け取った。
認める。 引き続き、認める。 さらに支援を検討する。 一年前の約束が、果たされた。謁見が終わった。
廊下に出ると、フィオナが待っていた。 エリナの顔を見て、何も言わなかった。 でも、目が少し潤んでいた。 「フィオナ」 「うん」 「届きました」 「知ってる。廊下まで、聞こえてた」 二人で、少しだけ黙った。 ゴードンが隣に来た。 「よく話されました」 「ありがとうございます」 「数字は、届きました」しばらくして、謁見の間の扉が開いた。
師匠が出てきた。 エリナは初めて、師匠の顔を見た。 白髪で、背が高く、目が鋭い。でも、今日の目は鋭さの中に、穏やかな何かがあった。 「エリナ殿」 「先生」 「よくやった。おばあさんの孫の話から始めたことは、正しかった」 「先生も、同じ話から始めてくださいました」 「当然だ。それが一番大事な話だから」 師匠が少しだけ、口の端を動かした。 「レインが、廊下で待っている」エリナは廊下の奥に向かった。
レインが、石の柱の近くに立っていた。 いつもの旅装束ではなく、学院の正式な服装だった。でも、目は同じだった。 エリナが近づいた。 上着の内ポケットから、手紙を取り出した。 「これ」 レインが受け取った。 「何だ?」 「昨夜書いた。王都に来てから書いた手紙です。届けたかったから、直接」 レインが封筒を見た。 「開けていいか?」 「どうぞ」 レインが封を開けた。一枚の紙を、その場で読んだ。 エリナは、レインが読むのを待った。 読み終えて、レインが顔を上げた。 「『あなたがいてくれれば、少し落ち着けると思う。明後日、そこにいてほしい』」 「そう書きました」 「いた」 「はい」 「落ち着けたか?」 「落ち着けました」 レインが少しだけ、目を細めた。 「今夜、話せるか」 エリナは少しだけ止まった。 一年後の約束。その夜に、ゆっくり話がしたい。 「話せます」 「数字と結果ではなく」 「数字と結果ではなく」 レインが頷いた。 「今夜」 「今夜」廊下の奥から、フィオナが来た。
エリナとレインが並んで立っているのを見て、少しだけ足を止めた。 それから、何も言わずに笑った。 声は出なかった。でも、笑った。 エリナは、フィオナのその顔を見て、少しだけ自分も口の端が動いた。エリナ・アッシュフォード、八歳。
今日、謁見の間に立った。 届けた。 一年後の約束が、今夜果たされる。フィオナがルシェムに来たのは、謁見から二週間後のことだった。 予告なしだった。 朝、市場から戻ったマリオが、息を切らして事務室に飛び込んできた。 「フィオナさんが来た」「どこに?」「市場の入り口。馬車で来てる。荷物が多い」「荷物が多い?」「トランクが二つある」 エリナは少しだけ止まった。 「泊まりではなく、しばらくいるつもりですか」「そういうことじゃないか? 迎えに行くか?」「行きます」 市場の入り口に着くと、フィオナが馬車の横に立っていた。 久しぶりに、ルシェムで見るフィオナだった。 王都で会った時とは少し違って見えた。服装は変わらないが、顔が少し違う。 疲れている、と手紙に書いていた。 確かに、少し疲れた顔をしていた。 でも、エリナを見た瞬間、目が変わった。 「来た」「来ましたね、予告なしで」「予告したら、準備されすぎると思って。あなたのことだから、部屋を完璧に整えて、食事まで用意して待っていそうだから」「そうしようとしていました」「でしょう。だから、言わなかった」「荷物が多いですね」「しばらくいようと思って」 フィオナが少しだけ声を落とした。「王都からの仕事は、手紙でできる部分も多い。しばらくルシェムで動きながら、こちらの空気も吸いたかった」「どのくらい?」「一週間か、二週間か。決めていない」「決めなくていいです。いたいだけいてください」 マリオが荷物を運んでくれた。 フィオナが見ると、少し驚いた顔をした。 「マリオ、大きくなった?」「なってないと思うけど、フィオナさんが久しぶりに会うから大きく見えるだけじゃないか?」「そうかもしれない。でも、なんか違う。顔が違う」「どう違う?」「前より、落ち着いた顔をしてる」「そうかな」
翌日から、エリナは動き始めた。 といっても、急いでいるわけではなかった。 落ち着いて、一つずつ。 謁見の翌日以降に何をするかは、帰り道の馬車の中でゴードンと話し合っていた。 優先順位は決まっていた。 一つ目、商会の代表変更の正式書類を処理する。二つ目、各町の現場責任者に謁見の結果を報告する。三つ目、フィオナと連携して規制案の継続審議への対応を続ける。四つ目、学院の衛生教育の検討に、商会として協力できることを提示する。 どれも、急ぎではない。 でも、止まってもいない。 まず、商会の代表変更の書類が届いた。 アルバ殿下が約束した通り、一週間以内に書状が来た。 正式な書類に、エリナ・アッシュフォードの名前が入っていた。 アッシュフォード商会の代表者、エリナ・アッシュフォード。 ゴードンがその書類を机の上に置いた。 「これで、正式になりました」「そうですね」「どういう気持ちですか?」 エリナは少しだけ考えた。 「思っていたより、静かな気持ちです」「静か、とは」「もっと大きな感情が来ると思っていた。でも、静かだった。当たり前のことが、形になった、という感じです」「それが、正しい感覚だと思います」ゴードンが静かに言った。「当たり前のことを積み上げてきたから、当たり前に形になった」「ゴードンさん」「はい」「代表名義をずっと引き受けてくれていた。本当にありがとうございました」「礼はいりません。でも、受け取ります」 それだけだった。 それで十分だった。 次に、各町の現場責任者への報告をした。 マグダ、シェナ、ジルカに、それぞれ手紙を書いた。 謁見の結果。陛下が約束を守ってくれたこと。商会の活動が引き続き認められたこと。今後も続けることができること。 返事は、それぞれ三日以内に来た。 マグダから。 エリナちゃん
ルシェムに帰った翌朝、エリナはいつもより少しだけ遅く起きた。 目が覚めた時、空はすでに明るかった。 珍しいことだった。 いつもは夜明け前に目が覚める。でも今朝は、光が差し込んでから目が開いた。 しばらく、布団の中でそのままいた。 これも珍しいことだった。 起きたら、すぐに動く。それがいつものエリナだった。 でも今朝は、少しだけそのままいた。 窓の外から、ルシェムの朝の音が聞こえた。 市場へ向かう人の足音。遠くで犬が吠える声。風が木の葉を揺らす音。 帰ってきた、と思った。 昨日も思った。でも、今朝も思った。 ここが、自分の場所だ。 台所に行くと、セレーナが先にいた。 「おはよう」「おはようございます」「よく眠れた?」「はい。遅くまで眠っていました」「そう。今日くらいは、いいんじゃない?」「そうかもしれません」 薬草茶を作りながら、エリナは窓の外を見た。 冬の朝の空は、澄んでいた。 「お母さん」「うん」「昨日、ゴードンさんから聞いた話があります」「何?」「学院が、来年から衛生教育を取り入れることを検討しているそうです。石鹸の使い方、薬草薬の知識、傷の手当ての手順を、学院の教育に組み込む話が始まっている」 セレーナが少しだけ手を止めた。 「それって、どういうことになるの」「学院で教えれば、学院の生徒が卒業して各地に行く時に、その知識を持っていく。一人が届けられる場所より、ずっと広い範囲に届く」「あなたが一年でやったことが、もっと広がるということ?」「そうなるかもしれません」「お父さんが聞いたら、何と言うかしら」 エリナは少しだけ考えた。 「『私よりうまくやっている』と言うか、それとも『まだ足りない』と言うか」「この前も同じことを言ったわね」「同じこ
翌朝、エリナは早く起きた。 今日、ルシェムに帰る。 荷物を確認した。報告書の写し。確認書の写し。殿下から預かったアッシュフォード商会の正式な代表変更に関する書状の下書き。そして、セレーナへの手紙。 全部、ある。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく朝から饒舌だった。 「昨夜の話、全部聞かせてもらうって言ったけど」「聞きますか?」「聞く。でも、今は聞かない」「なぜですか?」「あなたの顔を見れば、大体わかるから。今日は、その顔で十分」「どんな顔をしていますか?」 ゴードンが静かに言った。 「昨日フィオナが見たかった顔」 出発前に、フィオナと二人になった。 宿の前の小さな通りで、少しだけ話した。 「フィオナ、これからどうするんですか?」「王都にいる。まだやることがある。規制案はまだ継続審議のままだ。陛下が認めたとはいえ、クロヴェルが諦めたわけじゃない」「そうですね」「でも、今日は違う話をしたい」「どんな話ですか?」「あなたが帰った後のことを、少し考えた。王都に来てからの一年間、私はずっとここで動いていた。でも、いつかルシェムに行ってみたいと思っている」「ルシェムに?」「マリオとルナに、会いたい。あなたが話してくれた人たちに。あなたが動いてきた場所を、見てみたい」「来てください、必ず」「いつ行けるかはわからない。でも、行く」「待っています」 フィオナが少しだけ笑った。 「その言葉、昨夜もレインに言ったでしょう」「言いました」「同じ言葉が、自然に出てくるようになったんだね」フィオナが穏やかに言った。「前のあなたには、なかった言葉だと思う」「そうかもしれません」「いい変化だと思う」 フィオナが手を差し出した。 エリナはその手を両手で握った。
謁見が終わって、王宮を出たのは昼過ぎだった。 アルバ殿下が廊下で待っていた。 「よくやりました、エリナ殿」「ありがとうございます。殿下の準備がなければ、今日はなかった」「王都のデータは、効きましたね」 殿下が少し笑った。「右側の列が、ざわついた」「見えていました」「父上は、満足そうでした。あの顔は、久しぶりに見た。一年前に、『わくわくしている』と言いましたが、今日はそれ以上でしたよ」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 「殿下、商会の代表についてお願いがあります」「ゴードンさんから聞きました。昨夜、連絡をいただいた」「はい。正式にエリナ・アッシュフォードの名で商会を持てるよう、陛下にご確認いただけますか?」「すでに父上に話しました。年齢の問題は、特例として認めていただける方向です。正式な書類は、来週中に届きます」「ありがとうございます」「アッシュフォード商会の代表が、アッシュフォードの名前になる。当然のことですから」 王宮の外で、師匠とレインが待っていた。 師匠がエリナに言った。 「一つだけ言っておく」「はい」「今日の発言で、一番良かった部分を教えてもいいか?」「ぜひ」「クロヴェルへの返答だ」 師匠が静かに言った。「感情で返さなかった。でも、感情がないふりもしなかった」 エリナはフィオナが昨日言っていた言葉を思い出した。 「感情がないふりもしなくていい、という言葉を、昨日フィオナからもらいました」「賢い子だ、フィオナ殿は。あの返答には、あなたがいた。数字だけではなかった」「届きましたか?」「届いた。俺には届いた。他の人間にも届いたと思う」 師匠が一歩退いた。 「俺はこれで失礼する。よくやった」「先生、ありがとうございました。一年間、本当に」「礼
謁見の日の朝、エリナは四時間ほど眠った。 眠れると思っていなかったが、眠れた。 目が覚めた時、空はまだ暗かった。でも、もう眠れなかった。 起きて、顔を洗って、薬草茶を作った。 ルナが持たせてくれた葉を使った。 温かい湯呑みを両手で持って、部屋の窓から外を見た。 王都の夜明け前。 ルシェムとは違う空の色だった。でも、夜明け前が静かなのは、どこでも同じだった。 今日、謁見の間に立つ。 もう一度、確認した。 怖い。でも、届けたい。 それだけでいい。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく静かだった。 いつもは何か言う人だが、今朝は食べながらあまり口を開かなかった。 エリナが「どうかしましたか?」と聞くと、フィオナが少し笑った。 「緊張してる」「フィオナが?」「私も人間だから。あなたが緊張するより、私が緊張してる気がする」「なぜですか?」「あなたが上手くいくかどうかを、見ている立場だから。自分が話すより、大事な人が話すのを見ている方が、緊張する」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 大事な人が話すのを見ている方が、緊張する。 「フィオナ」「何?」「今日、謁見の間に入れますか?」「入れない。謁見の場に入れるのは、名前がある人間だけ。私には、今は資格がない」「そうでしたか」「廊下で待ってる。終わったら、すぐ出てくるでしょう。その顔を見る」「どんな顔をしていると思いますか?」「わからない。でも、見たい顔をしていると思う」 謁見の前の十分間は、王宮の廊下の一角で過ごした。 フィオナ、ゴードン、エリナの三人。 廊下は石造りで、冷たかった。外の空気が、石を通して伝わってくる。 エリナは上着の内ポケットに手を当てた。 手紙が、ある。 フィオナが言った。 「今日の目標を、一つだけ確







